ユダヤ
「根井三郎」 「大迫辰雄」(JTB) 「小辻節三」
杉原千畝 1900-1986
「杉原千畝」の命のビザは世間でよく知られてきました。ユダヤ難民たちはリトアニアからシベリア鉄道を経由してウラジオストックに着きました。ここから日本へ船で入国するために問題がありました。
外務省はウラジオの日本領事館に、難民たちの渡航を許可しない通達を出していたのです。しかしウラジオ駐在領事の「根井三郎」は外務省と交渉しその問題を解決して、続々とユダヤ難民を日本へ送り出しました。 また、新しい事実ですが、 根井はビザを持たないユダヤ難民を数百人に独断で発給したビザ(渡航証明)を持たせて日へ渡らせた。ロシアの公文書にそれは保管されているという。また、イスラエル国立公文書館に根井のサインがあるビザが存在する。
宮崎日日新聞より
http://the-miyanichi.co.jp/kennai/_27506.html
根井三郎 1902-1992
昭和15年9/10より独ソ戦の始まる16年6月まで毎週1往復の天草丸と河南丸で1万5千人に及ぶユダヤ人の輸送をした。6000人とも言われていたが、「大迫辰雄」の回想記にはもっと多くの数字があるのでシベリアに多くのユダヤ人が集まっていたのであろう。
大迫辰雄 1917-2003
JTBから派遣された大迫は半端ない活動、それはユダヤ難民が米国ユダヤ教会から送られてきた支援金の確認作業や慣れない船旅のお世話に活躍した。感謝を込めて写真を託されたほどである。後に彼の名がユダヤの人から挙げられるほどです。
天草丸 2345トン 、日露戦争で拿捕されたロシア船であった
大迫辰雄・JTB職員 の回想録 ユダヤ人輸送の思い出
https://www.jtbcorp.jp/jp/colors/special/focus/memoirs/
ソニア・リ−ドさんから大迫に渡された写真
小辻節三博士 1899-1973
「小辻節三」はユダヤ学の専門家である。神戸ユダヤ教会から協力の要請を受けて、政府との交渉を引き受けた。10日間の滞在しか許されなかったが、政府や自治体に働き掛けて出国先を見つけられるまでのビザの延長許可を得た。また、内地でユダヤ人が生活習慣・宗教・価値観などの違いで起こすトラブルの解決に尽力した。
ビザの有る者はアメリカやカナダへ、有しないものは上海へと旅立った。 その後、小林は特高から拷問を受けた。戦後は改宗してイスラエルに向う、彼の墓はそこにある。
杉原に命のビザから根井・大迫・小林との連携が無ければ成し得なかったといえるでしょう。
2018-8-29
ニコラス・ウイントン
1909-2015 救出した子供を抱くウインストン
連れ合いがBSドキュメンタリ−を見て「イギリスのシンドラ−」と言われるニコラス・ウイントンを描いた番組を見るように勧められた。 こういう良いお話は戦後1988年になるまで知られることはなかった。 ニコラスはその行為を妻にも話さず、物置の整理の中でその記録が妻により発見された。 第2次大戦の直前にチェコ併合(1938-39)がなされた、チェコ在住のユダヤ人は収容さて殺されることになる。ドイツのポ−ランド侵攻により第2次大戦が始まる。それまでは、まだ、ナチスによユダヤ人の強制収容がまだ徹底されていなかったようで、ユダヤの子供たちは親から切り離して里親という形で英国に移動させることができた。 ニコラスは英国政府と交渉し民間の力で、時には必要書類の偽装までして、669人の子供たちを救出した。 15000人の子供がナチスに収容されたが戦後生還した児童は100人に過ぎなかった。 彼はユダヤ人であったがために異邦人を顕彰する「諸国民の中の正義の人」の名誉は授けられなかった。
Sir Nicholas Winton - BBC Programme "That's Life" aired in 1988
https://www.youtube.com/watch?v=6_nFuJAF5F0 2分
このテレビ番組は録音していなければ見られないと思われるが、映画にもなっているようです。是非ともご覧ください。
2021-9-27