コミンエルン まとめ
コミンテルンとは
1919年より1943年まで存在した国際共産主義運動の指導組織である。別名は第3インターナショナル
真珠湾の真実 ロバ−ト・B・ステイネット著
ル−ズベルト欺瞞の日々
パ−ルハ−バ−の攻撃
第2次大戦の開始は12月8日(現地時間は前日)の真珠湾攻撃をもって開戦として認識されていますが、これに先立ってマレ-作戦において、日本軍は宣戦布告無しで攻撃しています。
日本のハワイ攻撃艦隊は厳重な無線封止が行われて真珠湾攻撃を成功させたと言われてきましたが、ステイネットのこの本を読むと、それは大きな誤謬・神話です、筒抜けでした。 択捉島の単冠湾に艦隊が集結したところから北太平洋を航行してハワイに接近するまで軍令部と艦隊の通信を傍受されていました。 それでハワイに向かう日本艦隊と洋上で鉢合わせして発見報告させないような航行制限措置をとっていたほどです。先に攻撃させるためにです。
外交暗号や海軍の暗号も解読されていましたからアメリカに横綱相撲されたようなものです。 ル−ズベルトが日本を追い詰めて日本を先に手を出させて、欧州への参戦する口実を得た。また、日本が宣戦布告無しで卑怯な攻撃してきた、それで庶民は、憎き日本に義憤にかられ開戦をやむ負えないおえないと思わせたということでしょう。参戦しないという公約で大統領になった彼は見事に自分の意志の結果を出しました。これが真実のようです。
傍受電報の著者による分類
1. 南雲司令長官による発信 60通
2. 東京から艦隊あての電報 24通
3. 空母発信の電報 20通
4. 航空艦隊司令官発信電報 12通
5. 第1航空艦隊の空母以外の電報 8通
6. ミッドウエ−破壊隊からの電報 4通
小西第7駆逐隊 駆逐艦2隻の砲撃
7. 航空戦隊司令官あての東京電報 1通
以上合計 129通
オグ作成の第1艦航空隊航跡図 ハワイ北方に接近がわかる
注)1941年当時ロバ−ト・オグは海軍区情報部で特別捜査官を務める、大圏航路図に再現された1941年11月30日より12月3日までの第1航空艦隊航路図。
日本艦隊の無線封止神話はル−ズベルトが開戦のいきさつの隠蔽のために流した情報でしょう。 日本軍も真珠湾攻撃成功の理由としてそれにのっかったということです。
日本軍も大戦後半になると無線情報の暗号解読ができなくても、定量的な分析等にて次の米軍の攻撃地点が予想できるようになりました。でもその情報を活用することができませんでした。 終戦近くになると、米軍は暗号すら使わずに平文や生の肉声会話が傍受できたといいます。
2016-2-21
マッカラム覚書 1940年10月作成
海軍情報将校マッカラム少佐
宮中に出入りを許されて、昭和天皇にダンスを教えたことがあるエピソ−ドの知日米海軍将校マッカラムが、日本を戦争に追い込むための覚書を提出しました。 その政策が実際に実行されたかは論議のあるところです。
ル−ズベルトは参戦しないと公約して大統領になりました。しかし何としても90が%近くのひとが反対する中で英国支援のために参戦する決意でした。 マッカラムの云うとうりに日本は追い込まれて先に手をだしていく結果になりました。 リメンバ−パ−ルハ−バ−の掛け声と共に世論は一変して参戦を支持するようにうなりました。
1.太平洋の英軍基地、特にシンガポールの使用について英国との協定締結。
2.蘭領東インド(現在のインドネシア)内の基地施設の使用及び補給物資の取得に
関するオランダとの協定締結。
3.蒋介石政権への、可能なあらゆる援助の提供。
4.遠距離航行能力を有する重巡洋艦一個戦隊を東洋、フィリピンまたはシンガポールヘ
派遣すること。
5.潜水戦隊二隊の東洋派遣。
6.現在、ハワイ諸島にいる米艦隊主力を維持すること。
7.日本の不当な経済的要求、特に石油に対する要求をオランダが拒否するよう
主張すること。
8.英帝国が押しつける同様な通商禁止と協力して行われる、日本との全面的な通商禁 止。
マッカラム覚書 冒頭
関連年表
1937 昭和12 10/5 ル−ズベルト 侵略国の隔離演説
1939 昭和14 ドイツのポ−ランド侵攻 第2次大戦始まる
7月 日米通商航海条約破棄
1940 昭和15
6/21 フランス降伏
7/10 レンドリ−ス法
7/25 在アメリカ 日本資産凍結
9/22 北部仏印進駐
9/27 日独伊三国同盟
10/31 バトルオブブリテン 英国勝利
10月 マッカラム覚書 米国屑鉄禁輸
1941 昭和16
6月 蘭印との交渉決裂
6/22 独ソ開戦
6/30 南部仏印進駐
7月 日本船パナマ通行禁止
8/1 米国石油全面輸出禁止
10/2 ハル4原則
11/27 ハルノ−ト
12/8 日米開戦
2016-4-3
ル−ズベルトとコミンテルンのの戦略のすごさ
第2次大戦をめぐって
中西輝政氏による
日本は太平洋戦争でマッカ−サ−やニミッツらに敗れたのではない。彼らはそれを知っていたら絶対に負けるはずのない完璧な事前情報により戦ったにすぎない。またアメリカの物量が戦争の主役であったわけでもない。日本を撃破した主役は次の4人である。
ロ−レンス・サフォ−ド
ジョセフ・ロシュフォ−ト
ウイリアム・フリ−ドマン
アグネス・ドリスコル
以上の彼らが大戦中・戦前日本の外交・海軍暗号のほぼ完璧な解読を可能にした人々であった。彼らの功績の上に、開戦に至る外交交渉から真珠湾、ミッドウエイ、ソロモン、マリアナ、レイテなど殆どの戦闘で、日本の事前の情報を探知しつくして、史上類のない圧倒的勝利をアメリカにもたらした。
1940年秋にチャ−チルやル−ズベルトが、この戦争は勝てるという見通したその時にわざわざドイツと同盟に入るという選択をした日本は哀れな存在であった。その翌月にマッカラムが起草した対日開戦促進計画採用されたとみられる。苦境に立つ英国を救い欧州の覇権と民主主義を擁護するために何としてもル−ズベルトは欧州に参戦したかった。 当時の日本人がABCD包囲網が一体、何を目的にして日本を締めあげているのか理解できず、情報力の圧倒的格差もしることなく、アメリカのシナリオどうりに坂道を転げ落ちていった。 とりわけ千島を出港してハワイをめざした連合艦隊はハワイ近くに行くまで航行を把握されていた。山本五十六神話は細部までアメリカの監視の元に行われた児戯であったとは?
ソ連の情報戦略はコミンテルンを使い世界の進歩派リベラル知識人を巧妙きわまる手段で操り、自国の国益に奉仕させた。日中戦争に至る経過やシナ事変の泥沼にはまりこんだこと、日本と米英国を対立を助長していった中身については現在の中国が崩壊すれば明らかになってくるだろう。 (ソ連は、ドイツと日本を敵にして戦うという2正面作戦は見事に回避された。)
日本人は90年代のバブル破たんの背景をもっとよくしるべきである。単なる軍事力や経済力だけではどうにもならないことがある教訓を骨身に刻んでおくことだ。
以上は雑誌・正論、平成12年10月号、 ステイネット著 真珠湾の真実の解説によりますが、爺爺は皆様にぜひ原文をお読みになることをおすすめいたします。
2016-4-