速魚の船中発策ブログ まとめ









北朝鮮問題まとめ

韓国 まとめ






 拉致被害者の奪還の最大のチャンス?


拉致被害者の奪還作戦


 拉致国連報告とヨット 


 映画   ブリッジ・ オブ・ スパイ






































































拉致問題  まとめ





    拉致被害者の奪還の最大のチャンス?


 飯島さんが北朝鮮に行ってきました。テレビでその会談の模様を見る限り、通訳
しているのは一人のようでこちら側の通訳は見当たりません。外交交渉で自分の
通訳をいれないで交渉することはないですね。その国の語学ができても通訳を入
れろといいます。飯島さんの訪朝で今後のことはどうなるかまだわかりまん。
 現在までで、奪還の最大のチャンスがあったのは、長男の金正男がデイズニー
ランドに来て逮捕した時です。彼は現在では日陰ものですが、その当時は彼が後継
者の筆頭でした。(中国傀儡の政権ができたときはそのトップとウワサされて
います)
 田中真紀子外相が、そんなものにかかわりたくないというような態度で直ちに
帰国させました。この時に最大の報道規制をして、外に一切漏らさずに、拉致
被害者と彼との交換交渉をしていれば帰国させられたのではないでしょうか。
もちろん数年はこの事実も伏せる必要があるかもしれません。外交やっている
人なら、スパイの交換なんて当たり前のことです。日本に情報機関がまともに
ないし、戦後1度もスパイ交換した事実がないからかもしれませんが。
佐藤優の本を読むと外務省でも情報関係の部署はあるようです。誘拐犯が国家
だと援助という膨大な身代金を払わないと帰ってこないのでしょうか。一人あたり
いくらかなどと考えると、被害者の親族には申しわけないですが、高すぎるような
気がします。あの時が費用対効果がよく、帰国の可能性が高いチャンスだった
ように思います。

            2013-5-29






    拉致被害者の奪還作戦   


 北朝鮮の調査報告の発表が近いのか、拉致連の方々の集会の報道をよく見かけ
ます。めぐみさんの公表された写真を見ますと、何とも憂いを帯びた立姿で,一刻も
早く親御さんのところに帰ってきてほしいものです。

  ラヴェル 亡き王女のためのパヴァーヌ 演奏 辻井伸行  5分
  https://www.youtube.com/watch?v=swYniTdy-gU

 ひねくれものの爺爺からみますと、今度も少数が帰ってきますが、それだけのよう
な気がしています。アメリカなら交渉は一切せずに特殊部隊の奪還作戦でしょう。日
本にもそれはあるようですが、その能力があるかは疑問です。諜報・情報組織もな
く。外・害・務省
の能力には期待できません。今回は1人につき1000億円の援助・借款?を支払う
のではないでしょうか。他国の諜報機関を使ってでも、拉致された方をワイロを使っ
てでも秘密裏に脱北者として北朝鮮より出国させ、中国にみつからないように日本
に帰国させる手はないのでしょうか?もちろん10年位や最後のひとりが帰るまでは
内密です。ワイロは協力者一人につき1千万円も払えばあちらには高額な報酬で
す。誘拐犯との交渉ですがその裏で実力措置をもっていないのでは交渉に迫力がで
ません。日本人があちらで独自の調査ができないのなら、その交渉に最初から負け
ています、その結果は費用が莫大で成果の少ないものになるのでしょう。
9月19日の報道では今になっても初期段階とのたまっています。

    2014-9-19






      拉致国連報告とヨット  

  
                            
                              速魚

 国連の人権理事会の調査委員会から拉致の報告書が出されて最高
指導
者の承認のもとに実行されたと指摘しています。
 その中で漁船の拉致の際に若い乗組員を拉致した後の乗員は漁船ごと沈
めたと報告されています。

 横田めぐみさんは昭和52年の11月 新潟市で拉致
 久米祐さんは同年9月 能登半島で拉致
 松本京子さん同年10月 米子市で拉致
 地村夫妻さんは昭和53年7月に福井県小浜にて拉致

 昭和52年6月にフェリー会社を退職して念願の日本周航クルーズに
宮崎県日向市港を出発しました。関門海峡を抜けて日本海沿岸を北上して北海
道を廻り、最後は宮城県の石巻まで22fヨットの愛艇速魚でクルーズしました。
日本海を航行中に天橋立近くの小浜港沖で海上保安庁の巡視艇から目的地・
住所・氏名など聞かれました。今までのヨット生活ではそういうことは経験してい
ません。さらに実家に電話があり裏もとっていました。何を警戒しているのか
当時としては不思議でした。
個人的な推測でしかありえませんが、恐らく不審船の警戒に当たっていたと思わ
れます。

 現場レベルでは拉致の情報も知っていたかもしれません。当時は平和のため
なら事を荒立てるなという風潮でしたから、対処に後れをとったのでしょう。
今後のために何か証言があればと書いています。当時は何も情報も無く知らされ
ていなかったので、こちらもノホホンと航海していました。でも北方4島に接近する
ときには船尾に国旗を揚げて、ソ連には注意して航行しましたが。
 保安庁も当時に警戒をしていたのなら、もっと国民に知らせておけば拉致の
被害の低減にはなったでしょう。こちらもほんの数%ですが不審船とでくわす
可能性があったのでしょうか? シングルハンドで朝早くから夕暮れまでの航海
が主体でしたから可能性は低いですね。イヤー危なかったなあと後で言ってみた
いだけですね。


              2014-2-21

   追記

  拉致は分かっていた  武田邦彦
  https://www.youtube.com/watch?v=ZcZNpUbCntY  10分

    2019-3-16




     映画   ブリッジ・ オブ・ スパイ     

  


        


  U-2のスパイ機撃墜事件とパワ−ズ飛行士の名前は、いささか日常であれそれ
これと指示代名詞を多発している爺爺でも憶えていました。小学生高学年か中学生
低学年のころでしょう。今考えると沖縄の嘉手納基地にあったのだと思われますが、
そこに駐機していたU-2の映像をテレビで見た思い出します。何せあの翼が長くいて
細い胴体のシルエットはいかにもスパイ機という感じて印象的だった。今日のその役
目は無人のドローンがしているのでしょう。 この映画で描かれるスパイ交換は記憶
にはありません。


              



 映画を見て、アメリカのこのような主人公を育てた人材育成システムや仕事に対す
るガッツには驚かされます。それは保険専門弁護士事務所の経営パ−トナ−の一
人であるドノヴァン弁護士が、日本で言うカチコミ・銃撃されても毅然とスパイの弁護
をして、おまけに政府からの依頼で民間人の立場でスパイ交換を成し遂げるのです
から。
 単なる一弁護士がこれほどのことができるのです、日本は戦争に負けるわけで
す。(ニュ−ルンベルグ裁判に関与とかCIAの前身OSSの顧問弁護士をしていた経
験もあるようです)

 日本の弁護士は単にお勉強・試験に強くておまけに高額な収入に引き寄せられた
人々の集団のように個人的に感じています。もちろん全部がそのようではありませ
ん。 映画で最後にテロップで述べられるのですが、後にCIAはカストロ政権転覆の
ためキューバに侵攻作戦を立て、ピッグス湾事件を起こして失敗しました。 この時
にもドノヴァンはその捕虜の返還に活躍したそうです。

 ここで述べましたが、拉致被害者との交換のチャンスがあったはずです。それも時
の政府の外相が邪魔者は早く帰ってくれとばかりに帰国させてしまいました。政治家
と官僚の質が違います。

  また、同日にスタ−ウオ−ズを見ました。今だ持って今までの作品のスト−リ−
が続がらないこちらにとっては、思い入れが少ないせいでしょう。マンネリみたいに
思えました。ブリッジ・オブ・スパイをオススメいたします。


           2016-1-11